イトログ_003
『きっかけ_003』
それからというもの、僕は度々、その人のお店を訪問した。
実際の買い付けについての話を聞かせてもらうのはもちろんのこと、経営の話や、自分で焙煎したコーヒー豆を持参して評価をしてもらったりもした。
お客様が読んでいるこのブログで書くのも気がひけるけれど、あの頃を振り返ったら本当に恥ずかしい焙煎をしていたと思う。
彼らは正直に評価してくれるありがたい存在だった。
感じたことやアドバイスをどんどんフィードバックしてくれ、焙煎技術の向上に惜しみなく協力してくれた。
その時からずっと、カッピングの重要性を説かれ、それは買い付け仲間になった今でも言われている。
嗜好品であり、好みに依存するところの多いコーヒーの味を適正に評価していく。
そんなある種不可能なようなことを可能にするのがカッピングだと。
そしてこれは、コーヒー豆そのものの評価はもちろん、焙煎の良し悪しや、抽出の結果など、僕らがコーヒー屋として関わる全ての行程に於いて利用可能な技術であると教えられた。
それまでもカッピングのことは表面上で知ってはいたけれど、そんなに重要な技術だということはつゆ知らず、大きく反省した僕はそれからカッピングを積極的に日々の仕事に取り入れた。
全国様々な場所で開催されているカッピングセミナーにも極力参加し、多くの人のスコアから自分の癖や欠点、課題などをあぶり出し、それらを日々のカッピングで克服できるようにがむしゃらにカッピングを覚えた。
今でも技術や経験ともにまだまだヒヨッコみたいなものだけれど、それでも産地に行き始めてからはカッピングが本当に役に立っている。
そうやって過ごしていた2011年早々のある日。
僕はその人に電話をかけた。
「今年も産地に行くのであれば連れて行って欲しい」
この言葉を伝えるためだ。
「買い付けができなくてもいい」
「まずは現場を自分の目で見てみたい」
彼は困惑した口調で「他の仲間に相談します」と言って電話を切った。
たいていこういう時は丁寧に断られる返事が来るものだ。
女の子に告白して「少し時間をちょうだい」と言われたときのそれと同じ。
「友達のままでいようよ」
僕だって昔の経験からこの流れは予想できたし、なんせ買い付けをしない以上、農家さんにメリットもない観光客同然の存在を連れて行っても失礼なだけだというのは自分にも理解できた。
しかし彼からの返事は全く逆の答えだった。
「出発まで時間がありません。パスポートの番号を教えてください」
それから慌ててお金を準備し、恥ずかしながらパスポートを持っていなかったのですぐにパスポートを作り(散髪にも行けなかったので次の更新は余裕を持って行こうとパスポートを見るたびに思う)、実家に眠っていたスーツケースを引っ張り出して荷造りした。
生まれて初めての海外。
出発はすぐそこに迫っている。
僕には自分の人生がとても自分のものとは実感できていなかった。
ただ、がむしゃらだった。
− つづく